自分が考える『積み重ね』への思いの矛盾
こんにちは、ナゲです。
お久しぶりです。
今回の記事では、ギルティギアを続けてきた上で、
『積み重ね』に関する向き合い方が自分の中でちょっと複雑だったなぁという話を書きました。
■書いたきっかけ
減量をはじめてそろそろ1年が経ちます(現在11か月目を終えようとしています)。
キツく制限したつもりも無いまま、食生活や運動の習慣が改善できました。
良い感じに習慣化できはじめてるかなーと思いつつ、
元々ギルティギアのシリーズもずーっとまったり続けられてるので、
「考え方に共通の部分あるんじゃないかな」と考えだしたのです。
その中で「ん…?」と気持ち的に矛盾する箇所があったので書き起こしてみました。
複雑でブログ書けないじゃん!!!ってなって更新止まったので放流します。
■『積み重ね』は大事にする。
大きい大会とか負けられない場面のとき、
「これまで、これだけの時間をかけて、こういうことをしてきた」というのは自信に繋がる。
ここまで来れたんだから、きっと大丈夫だろう、みたいな気持ち。
それが緊張感を少し和らげてるなぁという実感はあるし、
多少の失敗でもきっとなんとかできるだろうという気持ちも持てる。
積み重ねは大事だなぁと思う。
■『積み重ね』は大事にしない。
思っていた成果が得られなかったとき、
「仕方ないから今後どうしようかな」という気持ちの切り替えがそこそこ早い。
「あんなに時間をかけたのに…」とか「こんなに苦しい思いをしたのに…」とかはあんまり思わない。
というか多分苦しいと思えるような取り組み方をしてない。
これまでの過程は変えられないのだから、
今後変えられることを考えたほうがいいなと思うようにしている。
振り返って反省できるならするけど後悔はなるべく少なくする。
すげぇ凹む負け方したときでも、
やっぱり「しゃーなし」を連呼して、極力次を考えるようにしている。
積み重ねに固執してない、そんなに大事にしてないのかなとも思う。
■言語化が難しい。
書いてて「大事にしてるけど固執しないってなんだ??」って不思議に思う。
でも自分にとって違うことを書いてるつもりもなく、
それが余計に「????」ってなる。
上手く言葉にまとまらなくて書き起こせなかったし、
もっと時間をかけてこの微妙な感じを書き切ろうとすると、面倒くささが上回ってブログ書くモチベも上がらないしで困る内容だったw
最初に書いた話で、減量をはじめてそろそろ1年経つけど、
ギルティの取り組み方で考えてた内容がバチッと刺さった感覚がある。
特にモチベの維持の仕方とか。
別の環境にいっても向き合い方ってのは変わらないし、
何なら活かせることは見つけられるなと思える出来事だった。
前書いた記事(※)にも繋がる話で、積み重ねるだけ積み重ねておいて、
こだわり持たずに次にすることを考えられるくらいのフラットさが丁度いいのかもしれない。
あと成果の出る・出ないは運要素が強いとも思ってるから、
積み重ねた内容に固執してないというのがあるかもしれない。
※前書いた記事
nage.hatenablog.com
僕が『Tier1最強 ぶっ壊れの積み重ね方 襲来!!』とかを考えても、
まず先に体か心が壊れる積み重ね方しか思いつけないだろうし、
適度にやってくのが結局一番効率良かったりするんじゃねぇかな~と思った。
というわけで以上です。
「色々な物事を犠牲にして全振りしないと絶対勝てない」という考えがベースにあった
10代後半~20代前半の自分を思い返すと、
考え方がガラッと変わってるなぁとしみじみ思える内容でした。
ただ、ドライな考え方になったなぁと思いつつも、
結局根っこの部分は何も変わってないから、
そこそこ視野広くいられてるんじゃないかなぁと思うようにしています。
それでは。